甘酒と聞くと、初詣で振る舞われる湯気の立つ一杯や、「飲む点滴」として話題になった健康効果を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。実はこの甘酒、奈良時代の書物にすでにその原型が登場するほど、日本人と長い付き合いのある飲み物です。前回の歴史ゼミでは「麹」そのものの歴史をたどりましたが、今回はその麹から生まれる代表的な発酵飲料「甘酒」に焦点を当て、神話の時代から現代の”甘酒ブーム”まで、その足跡をじっくりとたどっていきます。

神話に描かれた甘酒のルーツ――『日本書紀』の「醴酒」と「天甜酒」
甘酒の歴史をさかのぼると、720年に成立した日本最古の歴史書『日本書紀』にたどり着きます。この中には、応神天皇の時代(288年頃と伝わる)に、吉野の民である国栖人(くずびと)が天皇に「醴酒(こさけ)」を献上し、歌舞とともに酒宴を催したという記述があります。この儀式は現在も奈良県吉野町の浄御原神社の祭りとして受け継がれているそうです。
同じ『日本書紀』には、女神・木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)が「天甜酒(あまのたむさけ)」を醸したという神話も記されています。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と結ばれ、一夜にして子を授かったことへの感謝を込めて捧げたお酒とされ、「甜」の字には「おいしい」という意味合いも込められているそうです。国税庁がまとめた酒造りの歴史資料でも、この天甜酒は稲の収穫を祝う新嘗祭の農耕儀礼に関わるお供え物であり、一夜でできる甘い酒であった可能性が指摘されています。
なお『万葉集』には、山上憶良が庶民の暮らしの厳しさを歌に詠んだ「貧窮問答歌」の中で、酒をしぼった残りの酒粕を湯で溶いた飲み物が登場します。麹から作る甘酒とはやや性質が異なりますが、酒粕を使った甘酒のもうひとつのルーツと考えられています。
砂糖のない時代の貴重な甘味料――平安貴族と「醴酒」
平安時代の967年に施行された法令の施行細則『延喜式』には、酒・醴(あまざけ)・酢を造る役所として「造酒司(みきのつかさ)」が置かれ、そこで醴酒が米と麹と酒を用いて仕込まれていたことが記されています。旧暦6月から7月末、つまり現在の6月下旬から9月上旬にかけて醸されていたとされ、宮中では夏に一夜でできる甘い酒を楽しんでいたことがわかります。

当時、砂糖は遣唐使が持ち帰るごく貴重な輸入品でした。国税庁の資料によれば、醴はこの時代の甘味料として重宝されていたと考えられています。一夜でできることから「一夜酒」、甘い酒であることから「甜酒(たむさけ)」とも呼ばれ、室町時代の有職故実書『公事根源』(1422年)にも、夏にこの一夜酒を仕込む習慣が記されており、朝廷のあった関西では長く「甘酒は夏のもの」という認識が根付いていたようです。
江戸っ子の”栄養ドリンク”――夏の風物詩として花開いた江戸時代
「甘酒」という表記が文献に登場するのは、江戸時代直前の1597年に成立した国語辞書『易林本節用集』が最初とされています。「醴」と「甘酒」が同じものだと記されたこの一冊を境に、甘酒は料理書や辞典、俳諧などに広く姿を現すようになります。1643年の料理書『料理物語』には、麹を水に浸した絞り汁と米などを合わせて発酵させる製法が記され、俳諧の世界でも夏の季語として詠まれていました。
元禄期(1689年)の料理書『合類日用料理抄』には米・麹・水・酒で仕込む配合が、正徳期(1712年)の百科事典『和漢三才図会』には米・麹・水のみで仕込む配合が記されており、麹の粒を残すか絞るかという飲み方の好みまで垣間見えます。この頃には、飲むだけでなく料理や菓子、調味料づくりにも甘酒が活用されるようになりました。
興味深いのは、江戸時代前期には夏の飲み物だった甘酒が、中期にはむしろ冬に売られる物として定着していったことです。松尾芭蕉が冬に醴を仕込む様子を詠んだ句をはじめ、当時の笑い話を集めた本にも冬の風物として描かれています。ところが江戸後期になると再び四季を通じて売られるようになり、1814年の随筆『塵塚談』や1822年の『明和誌』にその様子が記録されています。江戸後期の風俗誌『守貞謾稿』(1867年完成)によると、江戸では一年中甘酒売りの姿があった一方、京都・大坂では夏の夜だけ売られていたそうです。値段も江戸と上方で異なっていたと記録されており、当時の物価感覚では、庶民が気軽に手を伸ばせる価格帯だったと考えられています。
国立国会図書館が所蔵する江戸期の資料からも、甘酒は冷や水、麦湯、心太(ところてん)、枇杷葉湯(びわようとう)などと並んで、夏バテを防ぐ夏の定番の飲食として親しまれていたことがわかります。また森永製菓が公開している資料によると、江戸時代の武士の間では、悪酔いを防ぐために酒席の前に甘酒を飲むことが作法とされていたというユニークな逸話も残っています。

出典:国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/natsuedo
科学の光と時代の荒波――明治・大正・昭和の甘酒
明治に入っても、東京の町には威勢のいい掛け声とともに甘酒売りが行き交っていました。夏から秋にかけてよく売れ、子どもたちにも人気だったといいます。当時の医学博士も、麹由来の消化酵素を含む甘酒は消化が良く、子どもの飲み物としても適していると評価していたそうです。1904年には現在の独立行政法人酒類総合研究所の前身にあたる国立醸造試験所が設立され、甘酒の成分を化学的に分析する動きも始まりました。俳句の世界でも、正岡子規や矢田挿雲といった俳人が甘酒を題材にした句を残しています。
しかし1923年の関東大震災を境に、東京の甘酒売りの記録は急速に姿を消していきます。昭和に入り太平洋戦争が始まると、国内産米の使用が制限される中でも輸入米を使った甘酒が瓶詰めで販売され、甘味への欲求を満たす代替品として奨励されることもありました。戦後、高度経済成長期に冷蔵庫が家庭に普及し生活様式が大きく変わると、甘酒は都市部の暮らしから徐々に姿を消し、「神社仏閣で冬にふるまわれるもの」というイメージが強く残ることになります。
缶入り甘酒の誕生から、令和の”飲む点滴”ブームへ
そんな甘酒に転機が訪れたのが、飲料としての工業化です。森永製菓の記録によれば、1969年頃にびん入りの甘酒が初めて市場に登場し、1974年には缶入り甘酒が発売されました。以降、しょうが入りやパウチタイプ、フリーズドライタイプなど商品ラインナップが広がり、自動販売機の温冷対応が進んだ1979〜80年頃には、温かい飲み物としても定着していきます。
そして平成23年(2011年)頃の塩麹ブームをきっかけに、同じ麹を使う甘酒にも健康志向の高い層を中心に注目が集まるようになりました。「江戸時代は夏バテ防止に飲まれていた」「日本書紀に登場する女神が生み出した」といった歴史のエピソードもメディアで紹介され、スーパーだけでなくコンビニの飲料棚にも甘酒が並ぶように。農林水産省の広報誌「aff(あふ)」でも2018年12月号で甘酒が特集されるなど、行政の広報の場でも取り上げられるようになりました。
現代の甘酒は、成分の約20%をブドウ糖が占め、必須アミノ酸やビタミンB群、オリゴ糖も豊富に含むことから「飲む点滴」と呼ばれています。麹菌が生み出すアミラーゼが米のデンプンを糖に、プロテアーゼがタンパク質をアミノ酸に分解してくれるおかげで、砂糖を使わなくても自然な甘みと栄養をまとった一杯が生まれるのです。
おわりに
『日本書紀』の神話から、平安貴族の夏の甘味料、江戸の庶民に愛された栄養ドリンク、そして令和の”飲む点滴”まで――甘酒は1300年以上にわたって形を変えながら、常に日本人のそばにありました。麹菌という目に見えない存在が生み出す自然な甘さと栄養は、時代が変わっても人々を惹きつけ続けているのかもしれません。前回の歴史ゼミ「麹の歴史」もあわせてご覧いただくと、甘酒がどのようにして生まれたのか、その背景がよりくっきりと見えてくるはずです。
参考文献
国税庁課税部鑑定企画官「清酒の製造状況等について」ほか、国税庁「2 日本酒の歴史」(こうじ菌のホームページ内資料)
国立国会図書館 NDLイメージバンク 電子展示会「夏を乗り切る粋な江戸っ子たち」
農林水産省 Webマガジン「aff(あふ)」2018年12月号 特集2「甘酒」
マルコメ株式会社「甘酒の歴史 vol.1 古代から中世/vol.2 江戸時代/vol.3 明治から平成」(お米の国、日本の甘酒とお祭りの話。)
森永製菓株式会社「甘酒|森永甘酒の歴史」
このブログを書いた人 発酵食大学のゆりやん
2013年に石川県の醸造メーカーの協力を得て発酵食大学を立ち上げました。企画会社である株式会社ウーマンスタイルの代表取締役でもあり、「石川県をキャンパスに見立てて発酵を学ぶなら石川へ行こう!」を合言葉に発酵のプラットフォームを目指してスタート。醸造メーカーと生活者をつなぐ取り組みになればと発酵食大学を運営しています。今は金沢校・京都校・東京校でも講師を努めています。
取得資格:女子栄養大学 食生活指導士、フードコーティネーター
YouTube「発酵食大学」で、「簡単で美味しくてヘルシー」な料理を提案中







